鉛筆削りで思い出す昔の生活

最近、小さな鉛筆削りを時々使っている。
原付の運転免許の試験を受けるために、1年半ほど前に100円ショップで買ったものだ。
ずっと使っていなかったのだが、鉛筆でメモをすることが多くなり、机の引き出しの奥から取り出した。
 
鉛筆を削りながら、昔の生活をよく思い出す。
私が小学校に入学したころ、わが家の暮らしは決して楽ではなかったと思う。
父と母がほとんど何も持たずに干拓地に入植したため、私が物心ついたときにわが家にあった家電製品はラジオと洗濯機だけだった。
そんなわけで、私が小学校に入ったとき、わが家に鉛筆削りはなく、私の鉛筆は父が包丁で削ってくれた。
父は手先が器用だったが、さすがに大きな包丁で細い鉛筆を削るのは簡単ではないようで、私は傍らで見ながら「危なっかしいな。大丈夫かな」と心配していた。
頑固だった父も包丁での鉛筆削りは長くは続けられないと思ったようで、しばらくして手で回す卓上の鉛筆削りを買ってきた。
電動の鉛筆削りがわが家にやって来たのは、それから数年後のことだった。
 
当時の高度経済成長の波に乗って、わが家の暮らし向きも徐々によくなり、家電製品も1つまた1つと増えていった。
明日は今日よりいいはずだ、来年は今年よりいいはずだと誰もが思っていた古き良き時代だった。
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鉛筆削りと鉛筆。鉛筆は昔懐かしい「トンボ鉛筆」だ。鉛筆削りは長さ2センチほどの小さなものだが、鉛筆は問題なく削れる
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鉛筆を回すたびに削りカスが伸びていく。それがどこまで続くかを楽しんでいる。リンゴの皮むきと似たようなものだ