きのうの朝、淀川に架かる長柄橋から阪急電車を撮ったあと、別の角度から電車を狙おうと河川敷に下りた。
残念ながらいい場所は見つからなかった。
きのうの大阪の最低気温は1.6度でかなりの冷え込みとなり、久しぶりに手袋をはめた。
「こんな日は河川敷に霜が降りているんじゃないか」と思い、足元を探したら、小さな草に氷が張り付いたようになっていた。
かじかむ手でシャッターを押した。
きのうの朝、淀川に架かる長柄橋から阪急電車を撮ったあと、別の角度から電車を狙おうと河川敷に下りた。
残念ながらいい場所は見つからなかった。
きのうの大阪の最低気温は1.6度でかなりの冷え込みとなり、久しぶりに手袋をはめた。
「こんな日は河川敷に霜が降りているんじゃないか」と思い、足元を探したら、小さな草に氷が張り付いたようになっていた。
かじかむ手でシャッターを押した。
きのうの昼休みに天気予報を見たところ、好天はきょうまでで、あすからしばらくは天気が思わしくないと出ていた。
それならきょうの好天を大切にしなければと、以前から時期を見計らっていた朝の淀川を渡る阪急電車を撮りに行った。
地下鉄の天神橋筋六丁目駅から北に延びる阪急千里線は、長い鉄橋で淀川を越える。
そのすぐ下流に長柄橋(ながらばし)が架かっていて、歩道から鉄橋が狙える。
橋の上に立ってみると誤算だらけだったが、それはいつものこと。
撮れるものを撮ればいいと割り切って電車に向き合った。
きのうの朝、職場に近いマンションを通りかかったら、顔なじみの茶トラの猫が日向ぼっこをしていた。
「久しぶりだな。目は治ったか」と思いながら近づいた。
茶トラの猫は左目を痛め、一時はまぶたが開かないほどだったが、全快といっていいようだった。
しかし、両方の目から少しやにが出ていて、健康な眼とはいえない状態だった。
「たくましいおまえのことだ。きっと元気になってくれるよな」、そう思いながら職場に向かった。
きょうは仕事が終わってから西成までまっすぐ帰り、「一度は寄らなきゃ」と思っていたラーメン店に行った。
その店の看板に「何で素通りやねん」と大きく書かれていて、「そう言われて素通りばかりしていては」と思っていた。
このご時世のご多分に漏れず、その店も客の姿はほとんどなかった。
そして肝心のラーメンも、私の拙い舌には「これで本当にやっていけるの?」と感じられたが…。
かなり疑問の多いラーメン(店では「中華そば」だが)だったので、店員に聞いてみた。
すると「和歌山に5、6軒こんなラーメンを出す店があって、オーナーがそれをやりたいということで出した店なんで」という答えが返ってきた。
和歌山ラーメンといえば、1年ほど前に和歌山駅前の「清乃」で食べたときのうまさが強烈に印象に残っている。
それとはコンセプトも味もかなりの隔たりがある。
仮に紀州中華そばと和歌山ラーメンが別物だとしても、この店の味を肯定する気にはなれない。
何を出して商売しようが勝手だが、「これで繁盛するとは到底思えないけど」というのが正直なところだ。
きのう、近鉄南大阪線の道明寺駅で電車を撮ったとき、駅のホームのすぐ脇に桜が咲いているのが見えた。
見るからに桜なのだが、日本の桜の主役であるソメイヨシノがこの時期に咲くはずはなく、何という名前の桜かよくわからなかった。
桜の下で撮影していると、通りかかった人数人に「この桜は何ですか」と聞かれた。
答えることができず、それならばとスマホで調べてもはっきりせず、駅員をインターホンで呼び出して聞いてもわからなかった。
時期から考えて、「寒桜」くらいしか思い浮かばなかった。
まあ、桜の名前が何であるかは、桜自身はあずかり知らぬことだし、名前によって美しさが決まるわけでもない。
「2月にきれいに咲いていた桜を撮った」、それだけで十分だと思った。
おととい、大和川で近鉄南大阪線の列車を撮ったあと、矢田駅に向かって歩いていた。
そのとき明るく光る祠が見えた。
中には6体の地蔵菩薩が鎮座していた。
暗闇の中に浮かび上がるその姿は、仏ながら神々しかった。
近づいて説明文を読むと、祠の地蔵菩薩は仏教の六道の教えに基づいて6体を並べた「六地蔵」だった。
建立が平成9年ということで、時を重ねた味わいはなかったが、新しくきれいだった。
「こんなお地蔵さんを見て素通りできるわけないじゃないか」と思い、再びカメラを取り出した。