ふるさとへの思い

冬の朝の通勤ラッシュ時の電車は、車内が暖房と人いきれで温度が高くなり、外は気温が低いため、窓の内側がよく曇る。

数日前の南海電車もそんな状態だった。

私はいつものように座ることができず、つり革につかまりながら立っていた。

途中の駅に着いたとき、私の近くの席に座っていた若い女性が窓を「一」の字の形にこすって外を見た。

そのときある歌が浮かんだ。

松山千春の「ふるさと」だ。

その歌にこんな歌詞がある。

「電車の窓に息を吹きかけ指でなぞった『ふるさと』と」

この歌を初めて聴いたとき、私は大学生で、ふるさとを遠く離れ東京で暮らしていた。

東京での生活にはすぐに慣れたが、ふるさとへの思いは常に心にあった。

この歌を聴いてから、山手線の電車に乗ると時々、窓に「ふるさと」と書きたいという衝動に駆られた。

大学を卒業してふるさとに帰ったが、安住することができず、自ら望んで中国という異国での生活を選んだ。

中国から日本に居を移した今も、ふるさとで暮らすことができずにいる。

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私も松山千春を気取って、電車の窓を指でなぞってみた。歌詞は「押されて気づき慌てて消した小さく書いたふるさと」と続く。私もすぐに消した