中の島ブルース

「水の都にすてた 恋 … あゝ ここは大阪 中の島ブルースよ」

1975年に内山田洋とクールファイブが歌ってヒットした「中の島ブルース」の2番の歌詞だ。

この曲では1番が札幌、2番が大阪、3番が長崎の中の島を歌っている。

 

きのうは新しい職場に移って初めての土曜出勤の日だった。

仕事が終わって時間ができ、「さて、何をしようか」と大通りに出て南を見たら、橋が見えた。

職場は大阪のビジネスの中心である中之島に近い。

「中の島ブルース」にある「中の島」は札幌だけで、大阪は「中之島」、長崎に至っては島ではなく「中島川」が舞台になっている。

何度も車で通った中之島を初めて自分の足で歩いてみた。

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堂島川に架かる橋から中之島を望む。高層ビルが林立している
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淀屋橋中之島の南を流れる土佐堀川に架かっている。「中の島ブルース」では「泣いて別れた 淀屋橋」と歌われている
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「八百八橋」といわれる大阪の中心街だけあって、中之島には数多くの橋が架かっている。歩行者専用の「水晶橋」は珍しい形をしている。それもそのはずで、この橋は川の水質浄化のため1929年(昭和4年)に「堂島川可動堰」として建設されたものだ
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中之島公会堂(正式名称は大阪市中央公会堂)とそれをスケッチする少年。中之島は文化の薫り高いエリアでもある

 

「中の島ブルース」には、強烈な思い出がある。

私は大学を出てふるさとである岡山の会社に就職し、1年半後に東京支社に異動になった。

そのときの上司の十八番がこの曲だった。

まあこれほど下手な人も珍しいというほどの歌だったが、一杯飲むと必ずカラオケを歌った。

 

ある日、その上司と新宿の歌舞伎町にある小さなスナックに行った。

午前2時を過ぎていて、客は上司と私の2人だけだった。

そこにどう見ても堅気じゃない3人組が入ってきた。

その中の親玉とおぼしき男性が「中の島ブルース」を歌い始めたそのとき…。

あろうことか上司が「俺にも歌わせろ」と言って、その親玉からマイクを取り上げた。

親玉の脇を固めていた2人の若い衆がすぐに立ち上がり、「何すんだ。この野郎」と上司を力ずくで押し倒した。

それを見た親玉が「騒ぐな。ほかの人に迷惑をかけるんじゃねえ」と2人をしかりつけ、事はすぐに収まった。

私はそれを傍らでオロオロしながら見ていた。

 

その後、上司がどうするか見ていると、すぐに立ち上がり、「いや、失礼しました。私はこういうもんです」と名刺を差し出し、親玉も自分の名刺を出した。

上司のしたたかさも相当なものだった。

上司が名刺を出して私が出さないわけにはいかず、私も名刺を交換した。

もらった名刺は厚い和紙でできた立派なもので、「○○組 組長」の肩書きがあった。

後にも先にもそっちの人と知り合いになったのはこのときだけだ。

 

その上司とはもう15年以上会っていない。

どうしているのか風の便りも届かないが、健康には自信のある人だったので、今も元気で時々「中の島ブルース」を歌っていることだろう。