やよい軒のおかわり有料化を考える

先日、ネットで「やよい軒がご飯のおかわりを有料化」のニュースを見た。
実は私が通勤で毎日のように利用する天下茶屋駅の改札の脇にやよい軒がある。
人気の店で、夕方通りかかるとたいてい混んでいるが、きょうは空いていたので寄ってみた。
 
まず店の外の券売機で食券を買う。
きょうは「味噌かつ煮定食」(税込み760円)を食べることにする。
店に入るとすぐに店員が来て、食券を切り離して持っていく。
その後の待ち時間がけっこう長い。
牛丼や立ち食いうどんばかり食べているので、私の中では注文するとすぐに料理が出てくるのが当たり前になっている。
待っている間にも、店員が客に料理を持っていくたびに、「ご飯のおかわりは自由です。ごゆっくりどうぞ」という声が聞こえる。
おかわり自由を売りにしているのは明らかだ。
 
やがて私が注文した料理が出てきて、ご飯を1回おかわりをした。
やよい軒のご飯はかなりおいしく、おかわり自由は大きなアピールポイントになっている。
 
で、問題はこういうことだ。
店を訪れる客のうちおかわりをしない人から「自分たちは損をしている」という不満の声が上がり、全体の約3パーセントの店で、ご飯のおかわりをプラス30円から100円として有料化した。
それに対し、おかわりをする客がネット上で批判の声を上げている。
 
きょう私は「ご飯おかわり処」の脇の席に着いたので、誰がおかわりをしたかは一目瞭然だった。
男性客の多くがおかわりをし、女性客はほとんどおかわりをしない。
おかわり自由に不満の声を上げたのは女性で、有料化に対しネット上で批判しているのは男性だろう。
たくさん食べる人とそれほど食べない人が同じ値段だとしたら、食べない人が損をしたと感じても不思議ではない。
おかわり自由は店としてのサービスだろうが、店はきっちり利益を上げないといけないので、結局、食べない人にしわ寄せが来る。
 
しかし、そこまで厳密に考える必要があるのかという疑問も感じる。
少食の人はそんなに食べなくても満足しているのだろう。
それなら大食の人が同じ値段で自分よりたくさん食べていることに腹を立てる必要はあるまい。
同じ値段で同じ満足感を得ているだけなのだから。
 
この問題は突き詰めると、何をもって平等、公平というのかという問題になりそうだ。
そんなこと私にわかるわけがない。
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天下茶屋駅の改札脇の「やよい軒」。すぐ近くに「つるまる饂飩」と「印度のルー」がある
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私が注文した「味噌かつ煮定食」。私の大学時代の友人に名古屋出身者がいて、その影響で味噌かつが好きになった
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これが問題の「ご飯おかわり自由」。大きなジャーの中にふっくらとしたご飯がどっさり入っている。どうしても「食べなきゃ損」と思ってしまう。あっ、食べない人はやはり損をしているのか…