天王星食の前後に考えたこと

きのうの皆既月食中の天王星

きのうの午後8時31分、皆既月食中の月に天王星が隠れる天王星食を見た。

正確にいうなら、見たではなく撮っただ。

街が夜もそれなりに明るい西成では、6等星である天王星を私の目で見ることはできない。

天王星が月に隠れる時間にカメラのシャッターを押しまくって撮影できたというわけだ。

 

それはそれとして、天王星食の前後にいろいろなことを考えた。

前回、日本で皆既月食中の惑星食が見られたのは442年前、1580(天正8)年7月26日の土星食だ。

土星は約0等級で6等級の天王星と比べるとはるかに明るい。

当時は今のような夜の明るさはなかったので、土星食を見た人も多かっただろう。

 

ただ、当時は星に関する認識が現代とは大きく異なる。

なぜ月が暗くなり、なぜ土星が月に隠れるのか、その理由は誰も知らなかったはずだ。

科学の先進地域であったヨーロッパでも、「天文学の父」と呼ばれるガリレオ・ガリレイはまだ16歳で、地動説を唱えるのは30年ほどのちのことだ。

恐らく、皆既月食土星食が同時に起こった現象は、不吉なものととらえられていただろう。

 

当時の日本でも皆既月食の記録が残されているという。

1580年といえば、戦国の雄である織田信長が飛ぶ鳥を落とす勢いで天下統一を進めていたころだ。

当時の居城は絢爛豪華な城だったとされる安土城だ。

豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)は信長に中国攻めを命ぜられ、今も天下の名城とされる姫路城に入城していた。

信長は安土城で、秀吉は姫路城で皆既月食中の土星食を見ただろうか。

見たとするなら、その後の武運に何らかの暗示を感じたかもしれない。

信長はその2年後に本能寺の変で非業の死を遂げ、それを機に秀吉は天下人への道を歩み始める。

 

そして、まさにきのうのことも考えた。

皆既月食中の天王星食は、太陽、地球、月、天王星が直線上に並んだことを意味する。

場所を変えるとどんなものが見えたのだろう。

 

まず、月の上からだと「日食」が見えたことになる。

日食は地球における最大の天体ショーといってよく、皆既日食では月に隠された太陽の周りにコロナが広がり神秘的な光景となる。

月から見た日食はどんな光景だろう。

地球の直径は月の4倍に近い。

仮に地球と太陽の中心が重なったとすると、月から見た場合、地球から見る日食の月の4倍もある大きな黒い円が太陽を覆うことになる。

恐らくそのときはコロナも覆い隠されてしまう。

月から見ると、日食が始まり太陽が地球に隠されるとコロナが見え始め、やがてコロナも地球に覆い隠され、その後また見え始めるという流れになるのだろう。

 

では、天王星から今回の現象を見たらどうだろう。

天王星は楕円の軌道上を回っているので、地球との距離が近いときと遠いときで2割ほど変化する。

近いときでも地球と太陽の距離の17倍を超える距離がある。

そして太陽の直径は地球の109倍もある。

天王星から見ると、地球は太陽に入っていく小さな黒い点にすぎず、その手前に重なっている月は観測するのが非常に難しいだろう。

もともと天王星から見た太陽は小さく、仮に天王星に地球人と同じような知的生命体がいたとしても、きのうの天体ショーは一部の専門家とマニアの間でしか話題にならなかったに違いない。

 

そんなことを考えながらきのうの月を見上げると、時間の長さや宇宙の大きさを感じ、興味は尽きなかった。