春節を中国流に祝う

きのう、スーパー玉出で買った春節を祝う商品。「焼き餃子」(税抜き138円がタイムサービスで30円引き)、「カラフトししゃも」(税抜き98円が30円引き)、焼酎(税抜き170円)

きのうは旧暦の1月1日で、中国でいう「春節」だ。

私が中国で暮らしていたときも、春節は特別な日で、見よう見まねで中国流に祝っていた。

ということで、「よし、スーパー玉出で中国流に春節を祝える商品を探そう」と思った。

日本のスーパーに中国らしい商品はほとんどないので、本格的とはいかないが、なんとかそれらしい雰囲気を取り繕うことはできた。

春節といえば「ギョーザ」がつきものだ。中国ではゆでたギョーザが一般的だが、日本では焼きギョーザとなる。中国でギョーザは主食なので、3人前をいっぺんに食べた。電子レンジで温め、たれをかけて、おろし生ニンニクを加えた

中国では「魚」と「余」は発音が同じで、「年年有余(毎年、金が残る)」の願いを込めて、魚料理を食べる。日本で縁起物とされる「尾頭付き」、そして子孫が繫栄するようにという中国の縁起物「子持ち」を合わせてししゃもを食べた

 

中華街と化した西成

中国の踊りで西成の商店街をパレードする人たち

きょうの午後、スーパー玉出旧正月(中国の「春節」)を祝う食べ物を買いに行った。

そのとき、うるさいくらいの音楽が響いてきた。

「なんじゃこりゃ」と思い、商店街に出ると、派手な衣装に身を包んだ人たちが踊りながらパレードしていた。

春節を祝って、日本在住の中国の人たちが「ヤンコ踊り」を披露しているのは明らかだった。

西成に関わる中国人が多いのはわかっていたが、ここまでとは…。

「西成は中華街と化したな」と思いながら、パレードを追いかけた。

ヤンコ踊りで練り歩く人たち。中国の人たちは、節目の日になると、「どこにこんな元気があったんだ」と思うくらいのパワーを発揮する

 

「春節」の朝のあべのハルカス

けさのあべのハルカス

少し南に移動してあべのハルカスを見上げた

きょうは旧暦の1月1日、中国では「春節」という一年で最も重要な祝日だ。

中国で10年余り暮らした私にとって、この日は今も特別な日だ。

 

旧暦は月の満ち欠けをもとにした暦なので、太陽は関係ないが、それでも「一年の計は元旦にあり」という思いがあり、けさ、春節の朝のあべのハルカスを撮りに行った。

この際だからと、あべのハルカスを北と南の両側から狙った。

北からのポイントは、天王寺動物園の南の歩道で、スタンバイしたのは日の出の時刻(きょうは午前7時3分)の25分ほど前だった。東の空の底が赤く染まり、ビルの低層階がその光を反射していた

雲がなく、迫力のある朝焼けは見られなかったが、東の空が下から上に向かって染まっていった

日の出の時刻を10分ほど過ぎたころ、あべのハルカスに近いポイントに着いた。雲が西から流れてきて、空を覆った

 

猫がいたのは変色する階段の上

緑の階段の上にいた猫。目が光っている

階段の色が赤に変わった

きのうの仕事帰りに、職場の近くで猫を探した。

東大阪市役所の北にある公園にも、職場近いマンションにも猫の姿はなく、「頼みの綱はあそこだな」と思いながら、高速道路の高架に近いオフィスビルへ行った。

期待した通り、顔なじみの猫がいた。

猫はコンクリートの階段の上に座っていて、「そのままじっとしてろよ」と思いながら、カメラを取り出して撮影した。

すると…。

 

当初は緑だった階段の色が、突然、赤に変わった。

その変化は私の目でははっきりしなかったが、写真を確認すると違いが歴然としていた。

コンクリート自体は灰色で、「なんでこうなるんだ」と考えた。

 

答えはすぐにわかった。

その階段は道路のすぐそばで、道路には横断歩道用の信号があった。

夕闇が迫るころで、あたりは薄暗く、信号の光が階段を照らしていたのだ。

からくりはともかく、変色する階段の上に猫がいるという珍しい光景を目にすることができた。

 

大寒の朝の通天閣

きのうの朝の通天閣

きのうは二十四節気の一つ「大寒」だった。

一年で最も寒いころとされ、「大寒らしい風景を撮らなくちゃいけないな」と思いながらも、それらしいものが頭に浮かばなかった。

 

そんな状況で、きのうの朝、出かける支度をしながら外を見たら、薄暗い通天閣の背後が微妙に赤く染まっていた。

大寒の朝の通天閣で十分じゃないか」と思い、ベランダに出た。

スタンバイしたのは、日の出の時刻(きのうは午前7時3分)の20分ほど前。通天閣の背後がほんのりと染まっていた

雲が流れてきて、赤みが増した

空から赤みが消え、「これから通天閣に日が当たり、第二幕の始まりだ」と思っていた。しかし、通天閣に朝日は差さず、大寒らしい寒々とした姿のままだった

 

猫を撮らずには帰れない

法善寺に近い店の屋根に上がった猫

きのうの夜、法善寺へ行って小さなお地蔵さんの群れを撮った。

それが一段落して、「よし、本腰を入れて猫を探そう。猫を撮らずには帰れない」と思い、再び寺の周りを歩いた。

 

2匹の猫がやって来た。

そのうちの1匹は寺に近い店の屋根に上がっていて、もう1匹は寺のそばの店で置物のように座っていた。

2匹の猫の顔を見て、ようやく踏ん切りをつけて帰ることができた。

法善寺のすぐそばにある店にいた猫

きのうの夜の法善寺。行動制限がなくなって観光客が増え、参拝者がいない寺を撮るのに苦労した

 

お地蔵さんにも光と影

法善寺の一角にある小さなお地蔵さん

きょうの仕事帰りに、法善寺へ行った。

きのうの夜、西成の銭湯でボケの花を撮って、「夜の花は美しいな」と思い、それに味をしめて、きょうは道頓堀界隈で花を探した。

しかし、盛り場に花はほとんどなく、「仕方ない。法善寺へ行って、猫でも探すか」と思った。

 

法善寺に着いて、寺の周りを見ても猫の姿はなく、「どこかにいるはずだ」と歩き回った。

そのとき狭い道の脇にずらっと並ぶ小さなお地蔵さんが目に入った。

その名は「慈悲地蔵尊」。

お地蔵さんの群れをよく見ると、ライトの加減で明るいお地蔵さんと暗いお地蔵さんが混在していた。

「人の世には光と影がつきものだが、お地蔵さんも同じなんだな」と思い、路地に三脚を立てた。

ずらっと並ぶ小さなお地蔵さん。ざっと数えただけでも、その数は350を超えていた

光が当たっているお地蔵さん

陰になっているお地蔵さん。特に顔の部分が暗かった