学問の神様と称される菅原道真の有名な歌に「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」がある。
きのうからきょうにかけて、その「あるじなしとて」を思わせるものを3つ目にした。
「あしじなしとて 家な忘れそ」
きのうの夕方、私の家の近くを歩いていると、家屋の解体現場に猫がいるのが目に入った。
家は見る影もなく壊されていて、猫はその現場を眺めていた。
猫は耳がカットされているので、この家の飼い猫ではないと思われるが、面倒を見てもらっていた人がいなくなって、家の残骸を悲しげに見ているように思えた。
私がカメラを取り出したとき、猫は現場で横になっていたが、「あるじなしとて 家な忘れそ」といった光景だった。
「あるじなしとて 夏な忘れそ」
けさ、タイムサービスのすしを狙ってスーパー玉出へ行った。
その途中で、顔なじみの猫の「看板息子」はどうしているかなと思い、明るいうちの居場所であるマンションに寄った。
看板息子は仲間の猫とともにマンションの入り口にいた。
私が近づくと仲間の猫がすぐそばの空き地に逃げ込み、それに続いて看板息子も空き地に入った。
その空き地は家の撤去跡で、道路との境にフェンスが設置されていた。
「どこに行ったんだ」とフェンス越しに空き地を見ると、雑草の緑の中に青い朝顔がぽつんと咲いていた。
それを見て、「世話をしてくれる人がいなくなっても、夏になると立派に花を咲かせている。大したもんだ」と朝顔を褒めたくなった。
「あるじなしとて 夏な忘れそ」といった光景だった。
「あるじなしとて 味な忘れそ」
朝顔の撮影に時間を取られて遅くなったためか、タイムサービスのすしは残っていなかった。
仕方なく弁当のコーナーへ行くと、「うなぎタレご飯」があった。
玉出らしいC級グルメの弁当だ。
激安をうたう玉出も、弁当や総菜が次々に値上げされている。
現状ではたまにうなぎご飯を買うくらいならなんとかなるが、ちょっと収入が下がるとちゅうちょせざるを得なくなる。
そんなときでもこの弁当があれば、うなぎというあるじはなくても雰囲気は味わえそうだ。
「あるじなしとて 味な忘れそ」といえる弁当だった。