夕日と朝日を追って紀伊半島を南下 その2

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橋杭岩の日の出
 
おとといときのうの2日間、紀伊半島を南下した最大の目的は「橋杭岩の日の出」を撮ることだった。
当初、私は串本町まで行けば海から昇る朝日が撮れるだろうとのんきに考えていた。
ネットで調べると、この町には橋杭岩という日の出の名所があることがすぐにわかった。
見覚えのある写真が載っていた。
「こりゃ、ここで令和初日の日の出を撮るしかないな」と思った。
急に気が重くなった。
写真愛好者だけでなく、一般の観光客も同じことを考えるはずで、51日の朝の橋杭岩は通勤ラッシュ並みの混雑が予想されたからだ。
天気の関係で2日遅れとなり、多少気は軽くなったが…。
 
串本駅に着いたのはおとといの夜10時すぎ。
もう名物料理どころではなく、コンビニで腹ごしらえをして橋杭岩へ向かう。
この日は新月に近く、対岸から見た橋杭岩は真っ暗で、様子がよくわからない。
ただ、対岸の駐車場は写真愛好者が乗ってきたと思われる車で満車状態であることはわかった。
「もう、撮影ポイントで寝るしかない」と腹をくくった。
 
岸を行き来して、最適なポイントを探す。
橋杭岩の撮影は場所取りがすべてだといってよく、あとは天気という運任せだ。
岩は数多くあるが、形がよく岩と岩の間隔が適度な場所は少ない。
そこを探し、日の出の方角を推定してポイントを決め荷物を広げる。
今回は宿が取れないという前提で寝袋を持参した。
 
そうこうするうちに、大阪と京都からやって来た2人が私の近くに三脚を立てた。
京都のからの人は、「大きな荷物で場所取りをしてるなと思ったら人だったのでびっくりしましたよ」と笑っていた。
私はしばらくうとうとして、午前3時ごろからスタンバイした。
睡眠時間は実質的に2時間足らず。
大阪と京都の人はたぶん「完徹」だったと思われる。
「いい写真を撮るためなら、徹夜くらい」といったところだろう。
さあ、私が経験する最も混雑した撮影が始まった。
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最初は真っ暗な橋杭岩を撮影。何度かチャレンジするうちに印象的な写真が撮れた
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日の出の時刻(この日は午前57分)の15分ほど前。空が赤く染まってきた
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水平線の上に雲がかかっていたので、海から昇る朝日は拝めなかった。しばらくして雲の合間から太陽が顔を出した。綿密に計算したつもりだったが、予想より太陽にして4個分、角度にして2度程度、日の出の位置が右にずれていた。悔しかった
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橋杭岩を前景にして昇る太陽
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太陽が昇るにしたがって、海に光の筋が走るようになった
 
この日をざっと振り返る。
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寝袋を広げたのは、この場所だった。日の出のころには、三脚を立てた人だけでも50人ほど、スマホで撮影する人も含めると100人を超える人が岸にひしめいていた
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橋杭岩は約40の岩が850メートルにわたってそそり立つ奇岩群だ。並ぶ岩が橋の杭のように見えることからその名がある。
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撮影を終えてから串本の町をぶらついたが、休日の朝でコンビニ以外の店はどこも営業していなかった。名物料理はあきらめ、有名な「潮岬」を観光することにした。コミュニティーバスに乗って終点まで行き、岬の突端を目指す。「本州最南端」の石碑があった
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写真中央やや左が本州最南端だろう
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岬の近くにある「本州最南端のポスト」。串本町には「本州最南端」がやたらにある。串本駅や岬に来る途中の郵便局はいいとしても、駅の脇の土産物店が「本州最南端のみやげもの屋」を標榜しているのは、「たいがいにせえや」とツッコミを入れたくなる
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岬から少し西に行った展望台から西を望む。右上に「潮岬灯台」が見えている
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潮岬灯台。見学時間の前だったので裏から撮った
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串本駅からは「特急くろしお」に乗った。各駅停車に乗るには1時間以上待たなければならなかった。3時間早く帰れるなら2450円の指定席特急券も高くないと考えた
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特急を利用したので時間に余裕ができ、和歌山駅で途中下車して、近くの近鉄百貨店の地下1階に行った。お目当ては今年1月のUターンの際に行った和歌山ラーメンの名店「清乃」だったが、当然のように長蛇の列であきらめた。せっかくだからと、名物である「紀州なれずし」と地酒を買った。なれずしは想像していたような臭みはまったくなく、サバの濃厚な味わいが光った。地酒は米どころではない和歌山の酒米を使った純米酒で、めりはりの利いたきつめの味だった