赤いハイヒールとふるさとなまり

先日、梅田の地下街を歩いているとき、あるシューズショップで赤いハイヒールを見かけた。
すぐに太田裕美のヒット曲「赤いハイヒール」を思い出した。
私は高校生のころ彼女のファンで、この曲が最も好きだった。
レディースの店だったが、迷い込んだふりをして中に入った。
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私が見かけた赤いハイヒール
 
「赤いハイヒール」は19766月の発売で、地方から東京に出てきた1人の少女の苦悩を歌っている。
当時、高校3年だった私は、ラジオで流れたこの曲をカセットテープに録音して何度も聴いた。
こんな歌詞がある。
「そばかすお嬢さん、ふるさとなまりが、それから君を無口にしたね」
 
ふるさとなまりといえば、私には忘れられない思い出がある。
大学受験のために初めて上京し、1人で品川駅の食堂で晩めしを食ったときのことだ。
私の隣に座ったカップルが、標準語でしゃべっていたのだ。
当たり前のことなのだが、それを聞いた私は、「東京のもんは、テレビのドラマのような言葉を使うんじゃなあ」と驚いた。
そして、「岡山弁をつこうたら(使ったら)ばかにされる。言葉にゃ注意せにゃおえんな(注意しなくてはいけないな)」と思った。
「赤いハイヒール」の歌詞が心に染みた。
 
大学に進学すると、すぐに東京の言葉を使えるようになり、無口になることはなかった。
それでも「なんで無理して東京の言葉を使わにゃおえんのかな」という思いは消えなかった。
今は、日本の中でも最もなまりに誇りを持っていると思われる関西に住んでいる。
関西弁はほとんどしゃべれない。
しゃべれるようにしようともしていないのは、関西に腰を落ち着けようという気持ちが薄いからかもしれない。
「赤いハイヒール」は最後に「そばかすお嬢さん、ぼくと帰ろう」と歌っている。
私に帰る場所はあるのだろうか。