街角の落し物

どこの街にも落し物はある。

しかし、生活のにおいが漂う街とそれが希薄な街では、落し物を見たときの感じ方が違うように思う。

生活が身近にある中崎町の街を歩いているときに落し物を見ると、「ああ、人の生活から切り離され、寂しそうな落し物だな」と思う。

それがオフィスビル街だったら、無機質なビルと落し物は意外に同質で、特に違和感のない存在になることもある。

繁華街であれば、落し物はもうありふれていて、その存在は雑踏に埋没してしまうだろう。

中崎町で落し物を見たとき、私はいつも「これは誰に使われ、なぜここに落ちているんだろう」と考える。

この街で落し物を見つけてそんなことを想像するのは、私の小さな楽しみでもある。

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公園の滑り台の上に落ちていた人形。汚れた姿が痛々しい。「これは近くの小さな女の子がここで遊んでいたときに持っていたもので、お母さんに『ごはんよ。早く帰りなさい』と言われ、慌てて滑り降りて忘れていったものだろう」というのが私の想像だ
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商店街のコインパーキングのフェンスに掛かっていた帽子。私は「家族で商店街に来てごはんを食べ、お母さんが『店の中では帽子を脱ぎなさい』と息子に言って、帽子を買い物袋に押し込み、車に乗るときに落とした。しばらくして車で来た人が『邪魔だけど車で帽子をひくわけにもいかない。頭に被る帽子が地面に落ちていたんじゃかわいそうだ』と思ってフェンスに掛けた」と想像する
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路地に落ちていた外国人の写真。いや、写真ではなく印刷物だろう。これは私の貧困な想像力では、そのいきさつが思い浮かばない。誰かが雑誌か何かに挟んでいて落としたか