きょうから、シリーズ「紀州街道を行く」を始める。
といっても、そんなに大上段に構えたものではなく、時間がかかってもいいから、紀州街道を端から端まで歩いてみたいというだけのことだ。
そのきっかけはチン電を撮りに行っている大和川。
もちろん、紀州街道が交通の大動脈としてにぎわっていた時代にこの橋はなかっただろうが。
現在の距離ははっきりしないが、大阪と和歌山を結ぶ国道26号が約80キロなので、そんなところだろう。
月に2日、1日1キロ歩いたとすると、3年4カ月かかることになる。
う~ん、壮大な計画だ。
完遂できるかどうかわからないが、とりあえず始めよう。
街道の脇に残ってる「道路元標」。旧道路法(大正8年布告)により、各市町村に1個設置されたものだ。道路の重要な標示物だった。現在はその役目を終えているが、刻まれた文字が読みにくくなるまでに重ねた年月が風格を感じさせる
クランク状に曲がった街道。江戸時代に堺口門があったところで、敵の侵入を防ぐためにこのような形状にしたとされる。ここは岸和田の魂である「だんじり祭」で「S字」と呼ばれ、やりまわし(だんじりが勢いよくカーブを曲がること)の最大の見せ場となっている
道路を渡ると「欄干橋」がある。紀州街道が古城川を渡る場所に架けられた橋だ。現在、川は流れていない。江戸時代にはこの橋が道路元標とされ、他の町村から欄干橋まで何里何町と表示されていたという