紀州街道を行く その1

きょうから、シリーズ「紀州街道を行く」を始める。
といっても、そんなに大上段に構えたものではなく、時間がかかってもいいから、紀州街道を端から端まで歩いてみたいというだけのことだ。
そのきっかけはチン電を撮りに行っている大和川
堺市側から大阪市側へ行くとき、大和橋という小さな橋を渡るが、その道が紀州街道だということを知ったからだ。
もちろん、紀州街道が交通の大動脈としてにぎわっていた時代にこの橋はなかっただろうが。
 
紀州街道は大阪と和歌山を結ぶ街道で、江戸時代には徳川御三家1つの紀州藩譜代大名である岸和田藩の参勤交代の道となった。
起点は大阪市中央区高麗橋で、終点は和歌山市の京橋。
現在の距離ははっきりしないが、大阪と和歌山を結ぶ国道26号が約80キロなので、そんなところだろう。
月に2日、11キロ歩いたとすると、34カ月かかることになる。
う~ん、壮大な計画だ。
完遂できるかどうかわからないが、とりあえず始めよう。
初回のきょうは、私が現在住んでいる岸和田市の象徴となっている岸和田城から歩き始めた。
 
堀越しに見る岸和田城天正13年(1583年)に築城された城だ。左上に見える天守閣は昭和29年(1954年)に再建された
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岸和田城天守閣。33階で規模は小さいが、庭園も含め落ち着いたたたずまいを見せている
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岸和田城の西に延びる紀州街道。往時をしのばせる雰囲気が残っている
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街道の脇に残ってる「道路元標」。旧道路法(大正8年布告)により、各市町村に1個設置されたものだ。道路の重要な標示物だった。現在はその役目を終えているが、刻まれた文字が読みにくくなるまでに重ねた年月が風格を感じさせる
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クランク状に曲がった街道。江戸時代に堺口門があったところで、敵の侵入を防ぐためにこのような形状にしたとされる。ここは岸和田の魂である「だんじり祭」で「S字」と呼ばれ、やりまわし(だんじりが勢いよくカーブを曲がること)の最大の見せ場となっている
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S字の先に成協信用組合岸和田支店が立っている。大正9年(1920年)に四十三銀行岸和田支店として建てられた。現在もほぼ建築当時のまま利用されている
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道路を渡ると「欄干橋」がある。紀州街道が古城川を渡る場所に架けられた橋だ。現在、川は流れていない。江戸時代にはこの橋が道路元標とされ、他の町村から欄干橋まで何里何町と表示されていたという
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岸和田城の西の紀州街道は「だんじり」のルートにもなっている。昨年93日の「試験曳き」で街道を進むだんじり
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