吾輩は岸和田の主である

吾輩は岸和田の主である。
猫としての名前はまだない。
野良猫だからである。
吾輩はほぼ毎日、朝夕を中心に南海電鉄岸和田駅や東口にあるコンビニに行く。
悠然と駅前を闊歩するところから、一部の人が吾輩を「岸和田の主」と呼ぶようになった。
吾輩はいつも餌をくれる常連さんには、ニャーニャーと声を出しこびを売る。
たまに頭をなでたり喉をさすったりする人には、「そんなことじゃ腹はふくれねえんだよ」と冷たい態度をとる。
身勝手、ジコチュウだって?
あんたたち人間にゃ言われたくないな。
あんたたちだって同じ穴のむじなではないか。
たとえばボランティア。
災害時は特にボランティアが重要で、その活動に励む人は立派である。
吾輩もそれを認めることにやぶさかでない。
しかし、突き詰めていえば、ボランティアの人たちも、人の役に立っているという満足感、感謝される喜びのためにやっている面があるはずである。
だからこそ、現地の人から「そんなことをするくらいなら金を送れ」などと言われると、多くの場合、心が折れ活動をやめてしまうのである。
必要な活動だと思うなら、感謝されようがされまいがやればいい。
吾輩も人間も身勝手でジコチュウであることに変わりはないと思うのである。
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吾輩が岸和田の主である。野良猫は気楽でいいなだって? 冗談じゃない。野良猫は生存競争が激しい。吾輩の首に傷があるのがわかるだろうか。ほかの猫と一戦交えてやられた。右目も痛めて人相ならぬ猫相が悪くなった。飼い猫になってゆったりと暮らしたいものである
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駅前で一休み。この時期は晴れていると、暖かくて気持ちがいい
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常連さんにこびを売り餌にありつくのは吾輩の特技である