35年ぶりに訪ねた紅葉の谷川岳

先日、ネットで「谷川岳で紅葉が見頃」というニュースを見た。

私も昨年、紅葉の谷川岳を訪ねた。

学生時代から数えて35年ぶり、昔を思い出しながらの山歩きだった。

きょうは「in大阪」を逸脱して、そのことを振り返りたい。


私は東京で大学生活を送り、山岳部に所属して山登りに精を出した。

谷川岳北アルプス穂高岳剱岳とならんで「日本三大岩場」と呼ばれている。

当時は海外ならヒマラヤの高峰、国内なら冬の岸壁が先鋭的なアルピニストの目標となっていた。

私はそこまでのレベルに達することはできなかったが、東京から比較的近い谷川岳には何度も通った。

谷川岳は急峻な岩場が数多くあり、そこに挑むクライマーも多かったので、遭難が頻発し「魔の山」と呼ばれていた。

 

そんな谷川岳を訪ねたのは、昨年の11月初旬のことだった。

東京で昔の山岳部の仲間に会った翌日の113日、谷川岳に近い水上駅まで普通列車を乗り継いで行った。

本来はここから土合駅まで電車で行く予定だった。

土合駅の下り線は地下ホームになっており、地上の駅舎まで高低差81メートル462段の階段を上らなければならない。

このけっこう大変な上りは谷川岳登山の始まりの儀式のようなもので、血気盛んな山岳部時代は競うようにして上ったものだ。

その階段を再び上りたかった。

しかし、このときは乗り継ぎが悪く、バスで谷川岳ロープウェー駅まで行かざるを得なかった。


土合駅の階段。帰りに撮影したので、階段を上から見下ろしている。どこまでも続くかのような階段は圧巻だ 
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土合駅の地上の駅舎。現在は無人駅となっている

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そして、バスの終点からすぐの「谷川岳登山指導センター」に泊まった。

私が現役のころは、多くのクライマーが指導センターに泊まって、翌日、岸壁を目指した。

人混みが嫌いな私は、いつも道路の脇で寝ていて、指導センターに泊まるのは初めてだった。

この日は宿泊者が誰もおらず、1人で寝袋を広げた。

係員に聞いたところ、谷川岳を訪れるクライマーは昔に比べ激減しており、数少ないクライマーも比較的簡単な人気ルートに集中しているらしい。

現在はインドアのクライミングが全盛で、スポーツクライミング2020年の東京オリンピックの正式種目にもなっている。

危険に満ち満ちた谷川岳のクライミングは、手軽で安全なインドアのクライミングの対極にあるといっていい。

クライマーの数が減るのは寂しいが、必然的な流れだ。

 

私の谷川岳訪問の目的はクライミングではなく写真撮影だ。

翌日、114日、午前4時すぎに指導センターを出て、一ノ倉沢に向かう。

谷川岳の東面には南から北へマチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢の3本の沢が並んでいる。

その中でクライミングのメッカとされているのが一ノ倉沢だ。

そこまでは舗装された道路が続いており、登山の範疇ではない。

指導センターからいきなり急勾配になり、運動不足の体にはきつい。

現役のころの記憶より大幅に時間がかかり、5時半すぎに一ノ倉沢に着く。

まだ真っ暗だ。

沢を渡る道路の上に先客が2人いる。

ちょっと話をしたあと、私も三脚を立てる。

周囲の樹木がなんとなく見え、素晴らしい紅葉になっていることがわかる。

通い慣れている先客の1人に聞くと、「ここ数年ではもっともいい色付きだ」とのこと。

そうこうしているうちに、厚い雲がかかりながらもなんとか持ちこたえていた空が泣き出す。

「う~ん、雨男の面目躍如だな」と思いながら、少し明るくなった一の倉沢を撮影する。

 

明け方の一ノ倉沢。この沢らしい陰鬱さが感じられる

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そのうちに本降りとなり、2人は私に「気をつけてね」と声を掛け帰ってしまった。

私は1人で公衆トイレの軒下で雨宿りをする。

「雨雲の切れ間から差した光が岸壁を照らすと印象的な光景になるんだがなあ」と思いながらじっと待つ。

その後、昼まで粘ったが、雨は降ったりやんだりで、光は一条も差すことはなかった。

それでも雨の紅葉もなかなか乙なもので、しっとりと落ち着いた美しさを見せてくれた。

雨に煙る岸壁も昔の奮闘を思い出させてくれた。

魔の山」と呼ばれる谷川岳だが、一ノ倉沢を見に行くだけなら誰でもできるし、危険はゼロといっていい。

機会があれ訪ねてみてほしい。

 

紅葉の一ノ倉沢。赤や黄色に染まった木々が美しい

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沢を少し登ったところにある小さな滝。ここから先には行けない。クライマーは右手の小さな沢から迂回する
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沢の上部。三角形に見える残雪の上は、左が滝沢、右が2ルンゼと呼ばれている
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