思い出はモノクロームその17 南海平野線の痕跡

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阪堺電車今池駅のすぐ南。このあたりで南海平野線が分岐していたと思われる

1カ月ほど前、西成の航空写真を見ていたとき、飛田新地の近くに斜めに細長く延びる区画があるのに気付いた。

以前、南海天王寺支線を撮り歩いた経験から、これも線路の跡に違いないと思った。

同時に今池駅の付近から「南海平野線」という路線が分岐していたことも思い出した。

 

南海平野線は今から100年余り前の1914年の開業だ。

当時の南海阪堺線(現在の阪堺電気軌道阪堺線)の今池駅で分岐し、平野駅までの5.9キロを結んでいた。

1980年に現在の大阪メトロ谷町線天王寺駅から先へ延長となり、平野線はその役割を終え、66年の歴史に幕を下ろして廃線となった。

 

航空写真を見てすぐに「ようし、平野線の痕跡を訪ねようじゃないか」と思ったものの、近いだけにいつでも行けるという気持ちがあり、なかなか足が向かなかった。

数日前、朝焼けを撮ろうとして空振りに終わり、「これは天が平野線を撮りに行けと命じているんだな」と勝手に思い込み行ってみた。

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阪堺電車の線路脇の幹線道路を越えたところに、斜めに立ったビジネスホテルがあった。線路跡に建設されたことは明らかだ

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ホテルの向こう側へ行くと、線路跡にフェンスが張られ、痕跡らしくなった。線路の曲がりがよくわかる

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フェンスの中は個人の土地なのか、空き地になっていたり、畑として利用されたりしていた

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東西に延びる幹線道路と交わって痕跡は終了する。天王寺支線と比べると、平野線の痕跡は格段に短く、阪堺電車の線路からここまで200メートル足らずといったところだ