きのう仕事が終わってから西成まで戻り、松乃木大明神に寄った。
朝から降り続いた雨が上がり、猫はオールキャストといった感じで祠の周辺にいた。
去年の春に生まれた子猫(すでに大人になっているが)が香炉の脇に上がった。
その表情にはっとした。
この子猫は最近、松乃木大明神の周辺で姿を見ることができず、どこに行ったんだろうと思っていた。
ある日、少し離れた路地裏でその姿を見かけた。
近くに別の猫と小さな猫がいた。
「おまえは伴侶を見つけ、子どもが生まれて所帯を持ったんだな」と、子猫の成長を喜んだ。
その後、同じ場所に何度も行ったが姿がなく、どうしているんだろうと思っていた。
きのう祠にいた子猫は右の耳に切れ込みが入っていた。
子猫はオスで、去勢されたことは明らかだ。
私が「所帯」だと思ったのは、ただの勘違いだったのか、それとも1回だけ子どもをつくることを許されているのか。
いずれにしても、子猫は「種の保存」という生物にとって最も大切な営みの機能を奪われた。
「まちねこ」として生きるためには、避けられない運命なのかもしれない。
私の妙な感傷からか、カメラのファインダーをのぞきながら、子猫の憂いの表情だなと思った。