思い出はモノクロームその14 飛田新地に哀史あり

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飛田新地のはずれに立つ「慈母観音」

きょうの大阪はきのう見た天気予報とは大違いで、青空が広がった。

西成の街を歩きながら、「この街に青空は似合わないな」と思った。

そのときふと「飛田新地は営業を再開しているはずだが」と思い、ちょっと行ってみた。

時刻は午前10時すぎで、さすがに店はすべて閉まっていた。

そのままぶらぶら歩いていると、道路の脇に立つ石碑と石像が見えた。

 

その場所は飛田新地のはずれで、石碑は遊郭で働き、居住していた男女の慰霊碑、石像は身内にも見取られないまま亡くなった遊女を供養する「慈母観音」だった。

人の欲望が渦巻く遊郭だけに、悲しい物語は数え切れないほどあったのだろう。

石碑と石像は飛田新地の哀史を今に伝えていた。

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石碑と石像

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慈母観音

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観音像の脇に童の像があった。遊女が生んだ子どもなのだろう。母を見上げるあどけない表情が妙に悲しく感じられた

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慰霊碑。「慈悲共生」と書かれている。この街にふさわしい言葉かもしれない

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石碑と石像の近くにセミの抜け殻があった。時の流れと命のつながりを感じた