おととい、大和川で夕景を撮ったあと南海電鉄の七道駅まで戻った。
この駅のロータリーに1体の銅像が立っている。
外見から日本人とは思えず、これまでは「昔から貿易で栄えた堺のことだ。外国の人だろう」くらいにしか考えていなかった。
しかし、よく見るとその人は河口慧海(かわぐち・えかい)師だった。
河口慧海は1866年に今の堺市で生まれ、東京に出て苦学し僧侶になった。
その後、当時、鎖国状態だったチベットに2度にわたって潜入し、仏教の貴重な資料を持ち帰った。
銅像の裏の説明には「日本最初のヒマラヤ西藏踏破者」と書いてある。
多くの著作も残し、『西藏旅行記』は冒険家、登山家のバイブルといっていい存在だ。
私も登山をかじった身として、河口師の生きざまに憧れていた。
そんな師に身近な場所で思わぬ遭遇をしようとは…。
銅像とはいえ師の姿を仰ぎ見て、若き日の情熱がよみがえり、「まだ老け込む年じゃないぞ」と気合を入れた。