「Z」ののろしは何の意味だ

大阪城の背後に上がった「Z」ののろし

きょうは仕事帰りに大阪城公園へ行き、大阪城天守閣の夕景を狙った。

天気がまずまずで、印象的な夕焼けが見られればと思っていた。

 

そこで見たのは、「Z」の形ののろしだった。

もちろん、実際にはのろしではなく、赤く染まった雲なのだが。

その光景を見ながら、「Zののろしは何の意味だ」と思い、昔の日本海軍の「Z旗」が頭に浮かんだ。

Z旗はその由来はさておき、日露戦争日本海海戦で、連合艦隊司令長官東郷平八郎が旗艦「三笠」に掲げて勝利を収めたことから、必勝祈願の旗とされるようになった。

Z旗はZの字が描かれているわけではないが。

 

ということで、Zののろしを見て、「大坂夏の陣で落城した大阪城が、大阪秋の陣を企てているんだ」と勝手に想像した。

そんな思いを抱くくらい印象的な雲だった。

スタンバイしたのは日の入りの時刻(きょうは午後6時10分)の10分ほど前。上空の雲が赤く染まっていた

上空の雲の色があせたあと、天守閣の背後の雲が染まってきた。Zの字が立ち上がろうとしている

Zの字の色は長くは持たなかった。色があせてもZの字には見えている。敵方に知られないように色を落としたか

 

味わい深い紀の川の鉄橋

 

紀の川に架かるJR和歌山線の鉄橋を渡る列車

おととい、スマホを片手にJR和歌山線の旅を楽しんだ。

機材の主役はスマホでも、カメラを持参しなかったわけではなく、いつものようにカメラバッグを背負って行った。

 

しかし、カメラをバッグから取り出したのはたった1回。

紀の川に架かる鉄橋を撮ったときだけだった。

このときは思いもしなかったような青空が広がり、朝日を浴びる鉄橋は味わい深かった。

下流に架かる橋から鉄橋を見た。背後の山(龍門山だと思う)の中腹に雲が浮かんでいた

電車が通るのを待った。川面の反射光で電車の窓が光るかと思ったが、そうはいかず、黒いシルエットだけになってしまった

 

撮り鉄の本分を忘れず大和川へ

大和川に架かるJR阪和線の鉄橋を渡る電車

きのうのJR和歌山線の旅では、電車に飽きるほど乗ったが、電車そのものはほとんど撮ることができなかった。

帰りの電車に揺られながら、「スマホで沿線を撮り、すぐにアップすることにこだわり過ぎたな。『撮り鉄』の本分を忘れちゃいけない」と思った。

ということで、きょうは夕方近くになって大和川へ行き、JR阪和線の鉄橋を渡る電車のシルエットを狙った。

夕方は沈む夕日と電車の絡みからスタートすることになる。電車の窓のブラインドが下りているのがつらいところだ

夕日が鉄橋の向こうに姿を隠したころ。空も川も赤く染まった

日の入りの時刻(きょうは午後6時11分)のころ。斜めにかかった雲が、蒸気機関車から吐き出される煙のように見えた

 

深夜に見上げた「中秋の名月」

きのうの夜の月

きのうは「中秋の名月」だった。

JR和歌山線の旅の途中で、中国の友人から連絡をもらって知った。

しかし、きのうは午後から雨の予報が出ていて、月は望めないと思っていた。

実際に雨が降った。

真土トンネルから帰ろうとしたとき、ぱらぱら降っていた雨が急に激しくなり、土砂降りといっていい状態になった。

 

実はこの雨の影響は小さくなかった。

真土トンネルの最寄り駅である隅田駅から五条駅まで行き、そこで王子行きの列車に乗り換えようとしたら、大雨のため運行を見合わせていた。

結局、五条駅で2時間ほど待ったが、運行再開の時間がはっきりせず、来た道を引き返す形で和歌山回りで帰ることにして、午後6時39分発の列車に乗った。

天王寺駅に着いたのは、午後9時55分だった。

 

どこでめしを食おうかと考えながら家に向かって歩き、ふと空を見上げると、雲のベールをまとったような月が輝いていた。

「雲と絡むと月は美しくなるな。撮らないわけにはいかないな」と思い、部屋に帰って望遠レンズを持ち出し、朝の撮影ポイントである高速道路の高架下へ行った。

時刻は午後11時ごろ、「深夜に見上げる中秋の名月だな」と思いながら撮影した。

中秋の名月が、雲に覆われ暗くなった

雲の具合によって、月にこぶができたように見えるときもあった

 

スマホ片手にぶらり旅 JR和歌山線その3

私は遠出をして写真を撮るとき、おすすめの撮影ポイントをネットで探さないようにしている。

地図を見ると、よさそうな場所は見当がつく。

今回のJR和歌山線の旅も、これまでの2カ所はそうやって調べて目的地とした。

 

しかし、何気なくネットの記事を見ていて、「ここははずせないな」と思った場所がある。

それは「真土トンネル」だ。

このトンネルは和歌山県奈良県の県境に近い隅田(すだ)駅の東にある。

和歌山線唯一のトンネルだったが、線路がつけ替えられて古い線路は廃線になり、トンネルも役目を終えている。

私が見たネットの記事からも5年余りが経過しており、「なくなっているかもしれないな」と思いながら、トンネルへの道をたどった。

 

真土トンネル探索の出発点は「隅田駅」だが、駅舎が新しくなって味も素っ気もなくなっている。

以前の駅舎は壁に絵が描かれていた。

地元の隅田中学校の美術部の生徒とOBの手によるものだという。

最初の写真は旧駅舎のホーム側の壁だ。

駅の北側の道を東に向かう。

道の脇の畑に小さなヒマワリの花が咲いていた。

道はこのあと行き止まりになり、駅の西から南側の道に回り込んだ。

実は北側の線路沿いに細い道があったのだが、家に通じる道にしか見えなかった。 

線路の南側の道を歩いていく。

脇の田んぼでは、稲穂がこうべを垂れている。

このあたりから雨が降り出した。

道の突き当たりにある踏切を渡り、線路の北側に行くと…。

昔の線路跡とおほしき道に入り…。

右に現在の線路の鉄橋が見えてくる。

そして、さらに進むと、真土トンネルが見えてきた。

トンネルがなくなっていても不思議じゃなかったのでほっとした。

トンネルは古びてはいたが、立派に形をとどめていた。

トンネルの天井には、苔がびっしりと生えているが、しっかりとアーチが残り、きれいに洗えば、すぐにでも現役に復帰できそうな気がした。

 

スマホ片手にぶらり旅 JR和歌山線その2

青春18きっぷ」を使ったJR和歌山線の旅、船戸駅から電車に乗って、次の目的地である「名手(なて)駅」へ向かった。

地図で調べたところ、この駅の北側は昔の宿場町で、古い街並みが残っているように見えた。

ところが…。

 

駅の周辺は新しい住宅ばかりで、特徴を探すのが難しいような街並みだった。

結局、見るべきは宿場町の旧本陣とその周辺しかなかった。

旧本陣。

歴史と風格を感じさせる建物だ。

ここは有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』で、青洲の妻の実家とされたところだ。

しかし…。

 

私が建物の中に入ってしばらくすると、管理に当たっているおばあさんがやって来て、「ようお越し。ゆっくりしていってや」と言った。

私が青洲の妻との関連を聞くと「あれは有吉さんのフィクションでね。今では観光のパンフレットでも実家になっとるけどね」と説明してくれた。

歴史もその時代に都合のいいようにねじ曲げられるものだなと思いながら話を聞いた。

 

それはさておき、おばあさんに「どうぞ部屋に上がって見ていって」と言われ、「えっ、いいの」と思いながらも、かつて大名が泊まった部屋を間近に見させてもらった。

まずは最も身分の高い人が泊まった「御座の間」から。

御座の間に続いて「御次の間」「御三の間」が連なっている。

身分制度の厳しさがしのばれる。

本陣の経営者である妹背家が居住する部屋も立派なものだ。

有吉佐和子が青洲の妻の実家とした気持ちもわからないではない。

大名も眺めたであろう庭も、なかなかのものだ。

旧本陣に近い通りは、かつての大和街道で、今も一部にその面影が残っている。

通りの一角に洋風の建物があった。

郵便局として使われていたようだが、もともとは何だったんだろう。

 

スマホ片手にぶらり旅 JR和歌山線その1

青春18きっぷ」の有効期間がきょうで最後となった。

かねてからこの切符を使って列車に乗りたい路線があった。

それはJR和歌山線だ。

 

天気予報によると、きょうは好天が望めない、というより雨になりそうだということだった。

あすは多少なりとも天気が好転しそうだが、延期することはできない。

「ちょっとやそっとの雨ではへこたれんぞ」と、JR天王寺駅発の阪和線の始発列車に乗って「旅」に出た。

 

今回は鉄道の沿線で目についたものをスマホで撮り、ある程度まとまったところで現地でアップするつもりで来た。

題して「スマホ片手にぶらり旅」、最初の目的地は和歌山線船戸駅だった。

船戸駅は予想した通り、ローカル色あふれる駅だった。

窓も木の枠で、懐かしくなった。

そして、都会の駅では考えられないようなものもあった。

それは駅の利用者が思いをつづった一冊のノートだった。

意外なことに、天気はほぼ快晴だった。

天気予報を見ると、昼前から雨ということで、限られた晴れ間を生かさなくちゃと思った。

 

駅を出て、北へ向かった。

100メートルほど行くと、和歌山県を代表する河川である紀の川が眼前に広がった。

上流には紀の川をまたぐ鉄橋が架かっている。

和歌山線紀の川を渡る唯一のポイントだ。

これを目当てに船戸駅で列車を降りた。

地図で見たときは、船戸駅の周辺は何もないと思ったが、実際には家が立ち並んでいた。